父から息子へ

50歳前に生まれてくれた一人息子へ残す言葉

最愛の息子へ その12 最大の後悔!

またまた、とうさんの後悔からのアドバイス。
とうさんは、あまり人に相談することもなく、俺は俺!タイプ。
それでこれまで後悔することはあまりなかったけど、一つ、今も尚、悔やんでいるのが大学をやめちゃったことなんだ。
とうさんの中学での成績は中の上、上の下くらい。でも3年生の時、結構頑張って田舎でも上位の進学校に入ったんだ。そこで、エリート意識に後押しされて、やる気が出て、成績も上がっていったんだ。
それでも希望する早稲田には届かなかった。当時、浪人は当たり前の時代だったんで、はなからとうさんも浪人覚悟。
今思えばそれがいけなかった。予備校に通うのには遠く、アパートで独り暮らし、、、ありがちの、身を崩していって、浪人の友だちと遊びまわり酒を飲み、結局2年浪人して、6大学には入れたけど、そこからも仕送り貰っていながらバイトをし、遊びたい放題。金さ飲んだり、好きなものを買ったり、
単位も取れずはずもなく、留年限度までいて自主退学。今思えば、学生課に相談したりして、何とか卒業する方法はあったはず。

でもその時は先のこと考えられなかった。本当に親不孝。

そのつけが、次々にやってきたんだ。何とか親に泣きついて、英語の専門学校に行かせてもらったけど、思うような就寝もできず、今のところが大学中退でも拾ってくれたんだ。

でも、自分より劣る(思い込み)人の人の言うことに従うのが嫌で転職を何度も試みたけど、結局ダメ。学歴って本当に大事。今も政治の世界に行き君の未来が良い社会にしたいのだけど、立候補する時に中退は、、、。大学辞めたときはそんなこと、自分の力でなんとでもできる!って。

結論。最終的にはもちろん君の人生なんだけど、色々な人の意見に耳を傾けてね。

最愛の息子へ その11 劣等感

とうさんは、体が弱く、運動もあまり得意ではなかった。小さい頃は、色白で可愛い、可愛いと言われてたみたいだけど、暗い性格と運動苦手で、劣等感のかたまりになって行ったんだ。それは大人になるまで、続いて、自分はモテない、って思い込んで、彼女なんて全く出来なかったよ。でもあるとき、自分のことを好きと言ってくれる人が出てきたんだ!

きみは親の目から見ても可愛いし、かっこいいよ。頭もいいんだから自信もって!劣等感なんてなんのプラスにもならないからね。大丈夫!大丈夫!

最愛の息子へ その10 おばあちゃんのこと

きみが生まれたとき、とうさんは48歳。当然きみのおばあちゃんは、まわりのおばあちゃんより、おばあちゃん。でも86歳まで長生きしてくれたから、おもちゃいっぱい買ってもらったり、お小遣いもらったりしたり、ステーキも食べさせてもらったね。
今日はおばあちゃんととうさんの事を書くね。


おばあちゃんは中学を出て働きに出たんだ。家は貧しくて、ろくな履物も買ってもらえず
お兄さんのお古の下駄をはいて学校に行っていじめられたって、ずっと言ってた。
嫁いだ先は田舎の大家族、旦那さん(もう死んじゃってるおじいちゃん)も義理のお父さんも、旦那さんの弟も大酒のみ。殴り合い、時にはナタを振り回したりして、それは大変だったらしいよ。とうさんが小さいときもおじいちゃんとおじさんで殴り合いして、鼻血だしてたりしてた。
そんな中、召使のように扱われながらとうさんととうさんのおねぇさんを育ててくれた。
いつもいつも心配してばっかり、中学生くらいになると、いまでいう「ウザイ」って思い
冷たくしたりしてた。でも、今になって思えばそれは過保護とかじゃなくて、愛情だって
思う。
だから、とうさんがきみを心配していろいろ言うのも許してね。とうさんはきみが本当に大切で、大好きでたまらないのです。なので、過保護をやめません!きみはちゃんと愛情をわかって、そして自立できます!とうさんが出来たようにね(^^)